
スティード600をまた買った。
一度手放しているが、直近また迎え入れた。
前回はフルカスタムまでやって、形としてはほぼ完成していたと思う。外装も一通り手を入れて、細かいところも自分なりに詰めた。乗り味も悪くなかったし、不満らしい不満も特にない状態だった。やれることはやった、という感覚は確かにあった。

それでも手放したのは物語に終わりが見えたから。モンキーやジムニーのように沼が存在して終わりのないカスタムを楽しんでいる人は多い。ただスティードには終わりがあった。今は限られた(年々減っていく)カスタムパーツで自分の理想を描いていったけど、確実に終点が見えた。
もちろんワンオフで沼にはまることができたかもしれないけれども、そもそもの目的が小学校の頃の思い出の補完だったはず。
その目的を大きく見失った僕は、売却を決めた。売却を決めた時点で迷いはほとんどなかったし、むしろ終わりが見えてスッキリした感覚の方が強かった。「アメリカンはもうしばらく見たくない」

配送業者(レッドライン)に引き渡しを終えて帰る道で、少しだけ違和感があった。ほんの一瞬、「あれ?」と思う程度のものだった。何かを間違えたというほどではないし、気のせいと言われればそれまでの感覚だった。今までにも似たようなことはあったし、時間が経てば消える種類のものだと思っていた。
実際、その日は普通に終わった。代わりに購入したSR400も届いた。
ただ違和感は消えなかった。次の日も、その次の日も、ふとしたタイミングで引っかかる。何かを失ったというより、どこかが噛み合っていない感じが残る。うまく言葉にできないが、単純な喪失感とは少し違う。
ふと街でスティードとすれ違う。僕はとんでもないものを失ってしまったんじゃないか。いや、仕方がないことだと自分を納得させる。
気づいたら、またスティード600を探していた。いい個体があればという程度の感覚で見ていた。が、しかしとんでもない極上車を見つけてしまったので、またやってしまった…。

二度目に手に入れたスティード600は、艶やかだ。走行は15,000kmほど。年式も1994年式なのでタンクが11Lで少し大きいタイプ。(前回のは1992年式タンク容量9L)

これより綺麗なスティードは残ってるのか?
エンジンをかけた瞬間に「ああ、これだ」と思った。同時に喪失感、違和感は消えていた。一度目は完成させることを意識していた。どこまで自分の理想に近づけるか、どこまで仕上げられるか。その視点で触っていたと思う。でも今回は少し違う。仕上げるというより、この状態を崩さずに残したいという感覚に近い。足すことよりも、変えないことの方が重要に感じている。

メッキも元気で磨き甲斐がある
別に僕はアメリカンが好きではない。ハーレーも興味がない。スティード600が特別なのか、自分の感覚が変わったのかは分からない。ただ、一度手放して、もう一度手に入れたという事。

しばらくはこのまま乗ると思う。何かを完成させるためではなく、ただ乗りながら確かめていくような形になるはずだ。一度手放して戻ってきたバイクがどういう位置になるのか、それはこれから決まっていく。

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