小学校6年生の時、おとなしく優しい印象だと思っていた父親が突然バイクを購入してきたことに当時はびっくりした。
ホンダのスティード600と言う、90年代アメリカンブームの火付け役みたいな車種だ。年式は確か1989年式のVLXだったと思う。上品な赤と黒のタンクの当初の印象は「おじさん臭い」
でも初めて近くで見たバイクに不思議な感覚だった。
たまに後ろに乗せて連れてってもらうツーリングが楽しみで仕方なく、近場の成瀬や町田にいちいち繰り出した。
当時よく行ったラーメン屋は町田の都南デパートの一龍。誰か知ってる人がいたら嬉しい。マルカワでジーンズを買ってもらい、久美堂で雑誌を見て帰るルートは鉄板だった。
「アストリア・都南デパート・文具のなかじま」が並んでいた当時の貴重な写真
この頃の町田はエネルギーがすごかった。子供の頃は少し怖く、何でも揃っている悪い夢の国のような印象
慣れてきて緑山から市ヶ尾、江田、鷺沼あたりまで流して、流れる景色に自由を感じた。兄による虐待が深刻だった僕は親に言えず、より一層自由を求めていたのかもしれない。
1番の長距離は長津田から江ノ島まで行った記憶は今も鮮明に。帰り道に右折禁止のところで、切符を切られたんだっけ。
それから僕にとってバイクはあって当たり前の存在になった。-自由になれる。僕には価値がある。一人で自立をしている(気がする)-
16歳になり、二輪の免許を親に志願して熊本の天草の田舎で免許を取りに行った。思い返せば初めて目的目標を持って行動したかも。
「人は確かに過去の産物ではあるが、必ずしも過去の犠牲者になる必要はない」と言う言葉の通り、過去に感謝をしながら、今日と言う日を生きているつもり。
ただ、記憶はある周期で巡ってくる。それは元の位置ではなく、螺旋状に巡っているように感じる。
過去をやり直すたった1つの方法を見つけた気がする。それは以前と同じ景色を今を生きている目でもう一度見てみる。もちろん、あの頃と全く同じ景色はそこにはないけれども、環境と物質ぐらいは無理矢理用意することができる。
だからスティード600を引っ張ってきてみた。
普段開かないジモティーのアプリを開いた理由はわからない。でもなんとなく予感がしたといえば後付けにはなるけれど。気づいたら購入を押していて引き取り日程を進めていた。現車も見ずに。
もうバイクに乗る気が無かった僕なんですが(これを最後のバイクにしよう…)とか思っていたら名義変更で陸運局にいました(笑)
だからバイクの程度とかは何でもよかったんですよ。あの頃の記憶を思い出して浸りたい目的で家に置いておけたらなーなんて。
でも実際に帰り道のコンビニに止めて色々な箇所をチェックしてみたんですが、意外とものは良かったので驚きです。「もしや親父が手放したバイクが巡り巡って元に戻ってきた⁉︎」…なんて。
あれから35年が経った今。親父は77歳になり、もうバイクは乗れないけれども懐かしさであまり最近見ない顔をしてた。今は僕には娘が3人いて、あの頃の延長線とは全く違った人生を生きている。
僕は変わったが、基本子供の頃から変わっていない。
ただそうやって記憶を紡いでいくことに人生の意味を感じる、それだけの話。
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